金閣寺の寝殿造は入ることができるの?実はスゴイ構造になっていた!!

金閣寺は外から見ることはできても、金閣の中に入ったとこはないと思います。

実際に法要などの行事で、住職の方々や金閣寺の関係者は、何度も出入りされていると思うのですが、残念ながら私たち一般人は金閣のなかには入ることができません。

金閣寺は三階構造になっていて、寝殿造となっているのですが、それぞれに造りが違います。

今回は金閣寺の寝殿造が、どのような造りになっているのかな?

金閣の中には何があるのかな?どのようなときに中に入れるの?

などなど、疑問はたくさんありますよね。

普段は見ることができない金閣の寝殿造りの特徴を探っていきましょう〜!

それでは最後までお付き合いください。

金閣寺の寝殿造

※一階はシンプルな木造つくり!

金閣寺の一階部分は、金箔が貼られていません。

一階の寝殿造は、公家様式の寝殿造になっていますが、これは足利三代将軍義光が公家よりも身分は上であることを誇示するために、この様式を取り入れたとされています。

つまり武家出身である義光は、一階を質素な木造つくりにすることで自分たちの方が「偉い!」と戒めたということになります。

質素といっても一階の内部には、釈迦如来像と金閣寺を建てた足利義光像が祀られています。

一階は、「法水院」とも呼ばれ「法水」とは、人々の煩悩を水に流し清めるという意味が込められているそうです。

そして、鏡湖池で舟遊びもできるように、池に突き出すように建てられた釣り殿も造られています。

見落としがちになるポイントですが、目を凝らして、よ~くご覧になってみてください。

※二階は自分好みの建築様式に!金箔をふんだんにと思いきや…

金閣寺の二階は、金箔がふんだんに貼られ、外からは素晴らしい眺めとなりますね。

実は外観からは見えにくいのですが、金箔が貼られていない部分があるのですよ。

それは、縁側や内部の壁と床は黒漆が塗られ、金箔ではないのです。

現在の金閣は、改修や金箔の張り替えが何度かおこなわれてきましたが、義経のころは内部も金箔で覆われていたのでしょうか?

個人的に、義光の頃はすべて金箔で埋め尽くされ、目が開けられないほどの輝きを放っていたのだろうと想像していました。

皆さんはどのように思われますか?

そして、二階は武家様式の書院造で「潮音洞(ちょうおんどう)」とも呼ばれています。

内部には、岩屋観音像と四天王がお祀りされています。

金閣の内部には、こんな立派な観音様やお釈迦さまがいらっしゃるとは‼

写真を撮るだけではなくて、きちんと手と手を合わせて、拝むことも忘れてはいけませんね。

改めてつくづく感じます。

※三階は異国から伝来?!国際建築を導入した!!

金閣寺の三階は、内部の床は黒漆で塗られ、壁や天井はすべて金箔が貼られています。

この三階に、「仏舎利」というお釈迦様の骨が安置されています。

当時、義光は中国(明)との貿易も盛んにおこない、明の皇帝からは「日本の国王」に認められるほどの権力者でした。

その影響もあったのか、窓は「花頭窓(かとうそう)」という蓮の花びらをイメージして作られた窓が特徴で、中国から伝わったとされています。

義光は中国の建築様式を取りいれ、細部に至るまでこだわりを発揮し、権力の衰えなど微塵も感じさせないほどの、凄まじいパワーを持っていたのでしょうね。

金閣寺の三階は、中国から伝来したといわれる禅宗様式で「究竟頂(くっきょうちょう)」とも呼ばれています。

日本と中国のコラボ建築ですね。

金閣寺の寝殿造について【まとめ】

金閣寺の建築様式は、一階が公家様式、二階が武家様式、三階は中国風の禅宗様式からなる三階建てになっています。

それぞれの階には、足利義光像や釈迦像、観音像がお祀りされているようですが、金閣寺の内部も参拝してみたいものです。

特に三階は、中国の様式も取り入れたことから、当時の文化や人々にも大きな影響を与えたことでしょう。

義光の権力の象徴として建てられた金閣寺の寝殿造のそれぞれの特徴はいかがでしたか?

金閣寺を訪づれたら、寝殿造がどんな風になっているのか?

少し角度を変えてご覧になってみてください。

金閣寺がもっと違った風景に見えるかもしれませんよ。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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