茨城県牛久市に明治時代よりあるワイン醸造場「牛久シャトー」は、これまでに様々な歴史があります。
フランス種のブドウとボルドーの高級ワイン製造法を取り入れ、日本で初の本格的なワイン醸造場として有名になりました。
「牛久シャトー」が創設される前、日本では日本酒の消費削減により米不足の緩和や、輸出産業の創出のためにとワイン製造を奨励していたそうです。
その為北海道では葡萄酒醸造所、兵庫県では葡萄園が開設されたりしていました。
その後山梨県では明治初期からワインの製造に取り組み、葡萄酒醸造所ができその後葡萄酒会社が設立されるなど早い時期からワインの製造を成功させていきました。
日本を代表するワインの産地としての基礎が築かれていき、その後明治中期からは山梨県以外でも民間でワインの製造が進んでいきました。
その代表となるのがこの「牛久醸造場」です。
「牛久シャトー」閉鎖理由は?
「牛久シャトー」は、1903年(明治36年)に、神谷傳兵衛が「牛久醸造場」の名で創業しました。
創業後、日本で初めての本格的なワイン醸造場として知れ渡りました。
その後、国内外でいくつかの賞を受賞し、1907年には東京勧業博覧会でも一等金賞牌を受賞しました。
2008年には、旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が国の重要文化財に指定されました。
様々な歴史もある「牛久シャトー」はその後2018年に業績の悪化を理由に閉鎖になりました。
閉鎖後は、園内の施設見学等の利用のみで飲食店などの営業は行われていません。
「牛久シャトー」現在再開はされているの?
2018年に業績悪化のために閉鎖になった「牛久シャトー」ですが、1年半後の2020年6月に営業を再開しました。
閉鎖後、牛久市では再開に向けて、2万人をも超える再開のための署名を集めたと言われています。
数々の努力をしてきた結果1年半後に無事に再開がされました。
その後、「牛久シャトー」の中核施設に再び灯りがともり、再開を心待ちにしていた観光客や地元の方たちでとてもにぎわいました。
コロナ禍での再開になったため、レストランは60人規模の席が約半分の34人にまで減らし、営業が再開しました。
歴史ある旧ワイン醸造施設の再開はたくさんの方が心待ちにしていたこともあり、再開後多くの方が訪れていました。
そして、再開のタイミングで「牛久シャトー」は日本遺産に認定されました。
「牛久シャトー」どんな施設?
「牛久シャトー」ではレストランや物販ショップなどが再開されています。
レストランは以前までは「レストラン キャノン」という名前で営業がされていましたが、再開後は名前が変わり「牛久シャトー レストラン」になりました。
このレストランでは2種類のコース料理のみになっており、値段が2000円のものと3500円のものになっています。
待合スペースも広く、コロナ禍でも安心して密になることなく訪れることができます。
このレストランは、昔のワイン貯蔵庫を改造してレストランにしているので、内装の壁はレンガ造りになっています。
レンガがむき出しになっているのは、普通のレストランとは違った雰囲気なので趣がありとても新鮮な感じのする場所だと思います。
2000円のコースでもとても高級感があり、満足できるお料理です。
事前に予約をされていく方が多いので、当日牛久シャトーまで来てお店の前で引き返す方も多いそうです。
満席の場合、お店の外の看板に予約のお客様で満席ですと書かれていることがあるので、楽しみにきても入店できないという場合もあります。
レストランに行きたい方は、事前に予約をしてから行く方が良いと思います。
ショップでは、牛久シャトー内で収穫されたブドウを100%使用した赤ワインや電気ブラン、はち葡萄酒などの販売がされています。
ショップとレストランはどちらも毎週月曜日が定休日です。
営業時間は、ショップは10時から18時まで営業されており、レストランは11時30分から15時、17時30分から21時まで営業されています。
他にも、無料で入れる「神谷傳兵衛記念館」などもあります。
この記念館では、日本のワインの歴史に触れることができます。
本格的に営業が再開され、心待ちにしていた方々のおかげでまた牛久シャトーに活気が戻りました。
牛久シャトーの閉鎖理由とは?【まとめ】
「牛久シャトー」は、業績悪化で一度は閉鎖になりましたがたくさんの方の努力もあり、なんとか再開することができました。
再開後も、再開を心待ちにしていた方々のおかげで活気が戻り、たくさんの方が訪れています。
再開するまでには多くの牛久市民のボランティアや行政の方の頑張りがあったそうです。
閉鎖前よりも牛久シャトーが賑わうといいですね。