会津若松城の郭門石垣とはどんなもの?現存されているのか調査!

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会津若松城は築城から約600年経ちますが別名鶴ヶ城と呼ばれ、赤瓦が特徴の美しいお城です。戊辰戦争での籠城戦では多くの犠牲者を出しましたがお城は落城せず持ちこたえました。

会津若松城を観光のメインは2023年4月リニューアルされた天守閣かなと思いますが、現存する石垣を見て回るのもいいですよね。今回は、会津若松城の郭門石垣について、現存されているのかなど石垣について徹底調査していきます。

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会津若松城の郭門石垣ってどんなもの?

会津若松城には外堀と城内を結ぶ門が16虎口ありました。虎口とはお城の出入り口のことで、門と石垣はセットでした。明治時代になると16の虎口はほとんどは取り壊されてしまって、現在の街の風景からは面影も感じられません。

しかし甲賀町にある郭門石垣は、現存する唯一の郭門石垣です。甲賀町の郭門はお城の北側に位置し、当時のお城の正門に続いていたので、戊辰戦争では新政府軍が目指す場所となりましたが、会津藩は守り抜きました。東側の石垣は取り壊されましたが、西側の郭門石垣の一部が残っています。それだけでも、戊辰戦争でお城と会津の人を守り抜いた郭門石垣は見る価値がありますよね。
参照サイトはこちら→https://www.aizukanko.com/spot/145

石垣の面白さ

会津若松城も他のお城も天守閣の大きさや美しさが際立ちますが、多くは再建されています。石垣は取り壊されているものもありますが、現存しているものもありますよね。石垣の積み方は、主に3つに分けられています。鎌倉後期の自然にある石をそのまま積み上げる「野面積み」、関ヶ原の戦い以降に造られた「打ち込み接ぎ」江戸時代初期から造られた「切り込み接ぎ」があります。

甲賀町の郭門石垣以外にも会津若松にはいろんな石垣が残っています。どの時代の積み方も見られるので石垣の進化を感じることができますよ。お城のボランティアガイドさんと一緒に見学をすると、よりいろいろなことが分かって楽しいかなと思います。
参照サイトはこちら→https://www.youtube.com/watch?v=f1uTTUFsvmA

石垣を修復・調査するのは大変!

会津若松城ではないですが、名古屋城の石垣修理の見学会に参加したことがあります。石垣とは何か、などの座学を学芸員さんにレクチャーしてもらってから、修理現場を見学させてもらいました。いま重機を使って石を運搬したり、積んだりできますが当時は全て人の手で行われていたと思うと本当にすごいとことをやっている、と実感しました。

会津若松城は築城600年ですから、現在まで修復や新しく積んだとしても何百年の石垣が現存しているのはすごいことですよね。昔は、刻印や墨でどの石かを見分けていましたが、現在は蛍光カラーテープだったりするのを見ると道具は変ってもやることは同じだなと思ったりします。

石垣の修復はただ石を積み直すことだけ、じゃみんなでやれば早く終わるのでは、と思ってしまいますが実際は石の職人さんがいて、石を移動したらまた元の位置に戻す、という技術が必要な作業だそうです。名古屋城の修復には4名の職人さんが行っているそうです。修復された石垣は、石垣そのものと積み上げる技術も見ていきたいですよね。

会津若松城の郭門石垣とはどんなもの?現存されているのか調査!【まとめ】

今回は会津若松城の郭門石垣について、現存しているのか、石垣についてなどを検証してきました。現存しているのは甲賀町の郭門石垣のみでしたが、戊辰戦争をくぐり抜けた石垣が残っているだけでもすごいことだと思います。

この門をくぐって籠城した武士の人たちがたくさんいると思うと、さらに感慨深くなります。会津若松城は天守閣の姿も素晴らしいですが、石垣を近くで見たり遠くでみることも歴史を感じることができますよね。会津若松城へ行ったら、公園内をお散歩しながら現存する石垣をみてくださいね。

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