大河ドラマ「どうする家康」の舞台の1つである浜松城は、家康が天下取りへの大きな岐路になった舞台です。
家康は岡崎、駿府、江戸といろいろな地域を渡っており、浜松には17年間過ごしています。
大河ドラマ館もオープンされ、浜松城と徳川家康の歴史がドラマの小道具や映像でわかりやすく展示されています。
今回は浜松城について、建てた人、歴代城主はどんな人がいたのか、徳川家康の略歴などについて徹底調査をしていこうと思います。
浜松城を建てた人は誰?
家康が三河から遠江に攻め込んだ時には、今川家の拠点の1つ引間城がありました。
引間城を攻め落とし家康は入城をします。
現在の磐田にある見附城を新たに拠点としようとしましたが、織田信長より、浜松を拠点にしろとの命があり、引間城近辺を拡大し浜松城を築城に至ったと言われています。
浜松は、信州より攻めてくる武田軍の防衛が重点でしたが、海路をつかった物流などのことも考えて浜松の立地を指示したそうです。
浜松城の築城には織田信長が絡んでいるのですね。
その頃は、信長と家康は同盟を組んでおり、「本能寺の変」まで同盟は続いたと言われています。
実際に家康から命じられ浜松城の建てた人は、木原吉次、倉橋宗三郎、小川家次の3名で、木原吉次が中心となって行ったそうです。木原はその後、徳川家の大工頭となったそうです。
木原が居住していたと思われる袋井市木原には建設業関係者に信仰のある「許禰(こね)神社」があります。
現在の天守閣は復元天守ですが、野面積みの石垣の一部は当時のものが残っているところもあります。
引間城跡は東照宮として観光名所となっていますので、是非お出かけくださいね。
許禰神社のサイトはこちら→ http://shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4410008
元城町東照宮のサイトはこちら→https://www.tokugawa-bushotai.jp/tourism/toshogu/
浜松時代の徳川家康に、何がおこっていた?
徳川家康は浜松城に29歳から45歳の17年間過ごしたと言われています。
年号だと1570年(元亀元年)~1586年(天正13年)で時代は安土桃山時代にあたりますね。
浜松時代の家康には人生の転機となる出来事が多くありました。ちょうどこの年齢だと、現代の人も激動な時期にあたることになり、家康も同じだったことがわかります。
17年間の主な歴史は、
●1572年
三方ヶ原の戦いでは、遠江に攻めてきた武田信玄に大敗し、多くの部下を失います。
この敗戦を戒めに、自画像を描かせ、生涯持ち続けたそうです。
〇1575年
長篠・設楽の戦いでは、信長と組んで鉄砲を使用し、武田軍を破ります。
鉄砲は当時では新たな戦法で、信長と家康の連合軍は圧勝します。
●1579年
築山事件 正室の築山殿と長男の信康が武田勝頼との内通疑惑で信長から咎められ二人を処罰します。
信康の正室である、信長の娘の五徳が、「築山と信康が武田と内通している」といったような書状を信長におくったことがきっかけで、2人は処罰され死んでしまいます。
歴史上いろんな説がありますので、今後も研究や解釈が出てくると思われます。
●1582年
本能寺の変で信長を失い、自分も伊賀を超えて三河に命からがら逃走する。
●1584年
小牧・長久手の戦いでは、豊臣秀吉と戦いますが、天正の大地震により講和を結び終結します。
〇豊臣秀吉の命によって、浜松城から駿府城に移動する。
駿府に移動してからは、関東移封され、関ケ原の戦いを経て征夷大将軍となり天下統一へ駆け上がっていきました。
徳川家康についての参考サイトはこちら→ https://www.tokugawa-bushotai.jp/
歴代城主はどんな人?
浜松の町は「出世の街」として広く知られています。その理由は歴代城主にあるようです。
家康が駿府に移動してから、江戸時代に入り、明治になるまで22人の城主が勤め上げました。
徳川家と関わりのある譜代大名で、再任を含めると25人にもなります。
中でも有名なのは天保の改革で知られる水野忠邦でしょう。江戸幕府の老中となった経歴はすごいですよ。
もともと、現在の佐賀県にあたる唐津藩にいましたが、江戸で老中になりたく、厳封してまで浜松藩主になり、京都所司代になり、ついに老中になりました。その間、賄賂をばらまいたという説もありますが、その信念はすごいものがあります。
天保の改革は庶民にとっては倹約が厳しくありがたいものではありませんが、幕府思ってのことだったのでしょう。
浜松藩からは、他にも老中、大阪城代、寺社奉行など出世した藩主がおり、出世の街と言われるようになっています。
浜松城を建てた人はどんな人?【まとめ】
今回は浜松城について、建てた人、歴史、歴代城主はどんな人がいたのか、徳川家康の略歴などについて徹底調査をしてきました。大河ドラマの脚本は古沢良太さんですね。
これまでの構えた家康より線の細い家康を描いているような気がします。
なので、出会いや敗戦を経て変化していく家康像がとても面白いです。
実際に浜松城や大河ドラマを訪れてみると、より徳川家康が理解できる、と思いますので浜松城にお出かけくださいね。