金閣寺は実際にいつできたのか?初めから、今みたいに金ピカの建物だったのか?
当時は「北山殿」という山荘を造営したことが始まりとされていますが、はてまたその山荘も金色だったのでしょうか?
でも、そんな疑問があったら絶対に知りたいですよね‼
金閣寺は今や観光名所のトップクラス!!世界的にも「It‘s beautiful」といったところですね。
そんな金閣寺ですが、まだまだ謎に包まれていることも沢山あります。
そんな疑問を解くために
金閣寺はなぜ建てられたのか?
金閣寺はなぜ金を施したのか?
金閣寺を作った人は誰なのか?
その歴史を深く解明していきますね。
これであなたも明日から「金閣寺」についての「うんちく」が語れるかもしれません。
金閣寺はいつできたのか?!室町時代に栄えた足利家はスゴかった!!
金閣寺は室町時代にできたことや、1397年に建てられたことは、ネットや本を調べれば誰でも簡単に分かる時代になりました。
私もすぐに、ネットなんかで調べちゃいます!
しかし金閣寺はいつできたか?と考えたとき、室町時代の状況や足利一族はどんな様子だったのか?ここで少しずつ探っていくことにしましょう〜!
まず、室町幕府といえば足利一族。
初代将軍の足利尊氏(たかうじ)や二代目将軍の義栓(よしあきら)の時代は戦乱の世で、特に義栓は苦しい戦いを続けていました。
そして、細川家が反乱を起こしたせいで、足利一族は京都を捨てて近江(滋賀県)に逃げることになりますが、翌年に義栓は京都を取りもどします。
逃げたり、戻ったり……まさに命がけ……。
今の世のなか「逃げ恥」って元場もあるけど、当時はそうはいかなかったのでしょうね。
そして、足利一族が再び帰京します。
この足利家の帰京がきっかけで、徐々に勢力を広げていきます。
戦乱の世も落ちついた、室町時代に金閣寺はできたということですね。
治安が安定していたのか否か?しかし、この時代こそが「金閣寺はいつできたのか?」ということが解明できるヒントに繋がるのではないでしょうか?
金閣寺はなぜ建てられたのか?
金閣寺がなぜたてられたのか?その理由はいろいろな説があるようです。
もし皆さんが金閣寺を建てるとしたら、どんな理由で建てられますか?
まず、費用!!「お金」ですね…。
財力がないと建てられません。
わざわざ、借金をしてまで建てませんし、見栄をはるのにも限界があると思うのですが…。
では、なぜ金閣寺を建てたかは、義光は常に「頂点」という野望をかかげ、全てを意のままに操ろうとする義光の内なる想いが、金閣寺をなぜ建てたかということに繋がるのではないか…?
義光の野望は、はかり知れないものだったのでしょう。
ではなぜ金を施したのか?これも足利氏の権力の象徴ともいえます。
金閣寺は三階建てであることをご存じですか?
更に2階と3階にしか金が施されていないのです!
もともと武家出身の足利家は、2階の建築を武家様式とし、3階は釈迦の遺骨を置いたことから禅宗様式の造りとしました。
この2階と3回にはぎっしりと金が施されています。
まばゆいばかりにキラキラです!
では、1階はというと、武家様式となっていて金はひとつも施されていませんし、質素で地味な造とになっています。
「えぇ〜なんで?全部キラキラじゃないの?」と思われた人もあるのでは??
これは、身分をはっきりとさせるため、つまり公家よりも足利家(武家)の方が偉い!権力は上だ!ということを示すためのものだったのです。
金閣寺を作った人やその歴史とは?
金閣寺を作った人は、まぎれもなく足利義光です。
しかし、金閣寺を作る前の義光は政権を意のままにし、地位と名誉を手に入れます。
義光が金閣寺を作るときには、すでに将軍職を退き隠居していましたが、4代目将軍の義持(よしもち)はまだ幼く名ばかり将軍であったため、幕府の実権は義光が握っていたのです。
隠居をしたからといって、義光の野望はこれにとどまることを知らず、さらなる野望へと突き進んでいくのです。
義光はこの北山殿(金閣寺)で隠居をしながらも、陰の支配者として過ごしたのです。
まったく尽きるどころか、どこまで登りつめていくのでしょうか?スゴ〜イ!!
そして、後に金閣寺は義光の遺言により、「鹿苑寺」と名付けられました。
金閣寺はいつできた?【まとめ】
足利一族はかつて都落ちするも、再び足利家の勢力が増すことで室町幕府は頂点を極めていきましたね。
金閣寺は室町幕府最盛期にできた
金閣寺は幕府の威厳と義光の野望を知らしめるために建てられた、
金を施すことで公家や貴族との身分を差別化した
金閣寺を作った人は足利義光である
いかがでしたか?
金閣寺や足利家の歴史を探っていくと、本当に面白い発見がたくさんありますね!!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。