茨城県牛久市にあるブロンズ製の大仏立像「牛久大仏」は、全高120mもあります。
像高が100m、台座が20mあり立像は世界でも6番目の高さを誇ります。また、ブロンズ立像としては世界最大です。そんな「牛久大仏」はなぜ作られたのか、誰が作ったものなのか詳しくまとめていきます。
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「牛久大仏」はなぜ作られた?
茨城県牛久市にある「牛久大仏」は正式名称「牛久阿弥陀大仏」と言います。浄土真宗に属する大仏で、浄土真宗の開祖である「親鸞聖人」が茨城の地にゆかりがあったため、1986年に着工し1992年に「牛久大仏」が建立されました。造ったのは「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」です。
「牛久大仏」の歴史は?
「牛久大仏」の120mという数字には意味があります。阿弥陀如来はあらゆるものを照らすために12の光を放つと言われていますその12という数字に由来して全高120mで作られました。
立像としては世界で6番目の高さですが、ブロンズ製の仏像としては世界最大を誇り、1995年にはギネス世界記録に登録されました。阿弥陀如来は「牛久大仏」を造った浄土真宗東本願寺派のご本尊です。阿弥陀如来は「生あるものすべてを救う」と言われている仏様です。
「牛久大仏」は、浄土真宗東本願寺派の霊園である牛久浄苑の敷地内に建てられました。浄土真宗の開祖である「親鸞聖人」が、関東での布教の拠点にしたのが茨城県でした。その為、「親鸞聖人」のゆかりの地である茨城県に建てられたそうです。
「牛久大仏」の足元には四季折々の草花が咲き誇り、浄土のような美しい庭園が広がっています。「牛久大仏」の後ろにはふれあい動物園やおさるさんのステージがあり観光スポットとして有名です。
「牛久大仏」を造った「親鸞聖人」ってどんな人?
約800年前に誕生され、平安時代から鎌倉時代にかけて90年の生涯をおくられました。9歳で出家し、そこから20年間も比叡山で厳しい修行を積まれたそうです。
ですが、迷いの霧は晴れることがなかったため山を下りる決心をしたそうです。そして、「どのような人でも念仏ひとつで救われる」という本願念仏の教えに出遇われました。あらゆる人に救いの道をひらいたこの教えにより、多くの念仏者が生まれました。そして90年の生涯をおくられた親鸞聖人の遺骨は「大谷廟堂」に納められました。
その後「大谷廟堂」を起源とする本願寺が、東本願寺と西本願寺に分かれて以降西本願寺を本山としてきた宗派が、「浄土真宗本願寺派」です。
「浄土真宗本願寺派」の教えとは?
浄土真宗の要となるのは、「阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を称えて仏となる」という教えです。「本願」というのは、阿弥陀仏が菩薩として修業中に立てた48の誓願のうち、18番目の願いのことです。
「わたしが仏になったなら、すべて命あるものを必ず迷い苦しみから救い出す」という意味が込められているそうです。「浄土真宗」の特徴としては、神社やお寺で当たり前のように売られている御朱印や御札、御守りがありません。なぜないのかというと、御守りのご利益に頼ったり、目先の良し悪しに囚われるのではなくどんな時でも人間を捨てることなく、阿弥陀仏の働きにのみたのんで生きよという教えを表しているとされています。
浄土真宗といえばお唱えする言葉がとても有名で「南無阿弥陀仏」といいます。
牛久大仏はなぜ作られたのか?いつ誰が作ったのかどうやって作ったのか解説!【まとめ】
「牛久大仏」は、ギネス世界記録として登録されるほどのすごさがあります。そして「牛久大仏」の胎内空間では、様々な体験ができるそうです。
そんな胎内には写経や展望以外にも、建立完成までのパネルや大仏様の親指の模型が展示されているコーナーなどもあります。5層まであり様々な空間をめぐり楽しむことができます。色々なことが楽しめるのでぜひ一度訪れてみてください。