広島城の天守閣の高さはどれくらい?見える景色や原爆について検証!

現在の広島城は、三代目広島城です。初代は江戸時代に築城されましたが、昭和20年(1945年)8月6日の原子爆弾の投下で天守閣は倒壊し櫓なども焼失してしまいました。その後、二代目は昭和26年(1931年)に復元、三代目は昭和32年(1957年)に復元されました。

今回は、広島城の天守閣の高さや大きさ、最上層からみえる景色は何がみえるのか、原爆をうけた広島城について調べていきましょう。

現在の広島城、天守閣の大きさって、どれくらい?

三代目広島城の天守閣は、鉄筋コンクリート製です。復元される際に、「木造で」という話しが議論されましたが、耐火の問題などがあり、鉄筋コンクリート製となったそうです。

初代の天守閣は、昭和6年(1931年)に国宝に指定されていました。その時に実測値を調べ、それらを元に復元が進められたそうです。天守閣の高さは39メートルです。天守の一番上の鯱瓦を合わせると約40メートルです。

これは、石垣の高さ12.4メートルを含まれていますので、実際に天守閣を見るとそんなに大きさは感じないかもしれませんね。 それぞれの層の大きさですが、

1層・・・3.8メートル
2層・・・4.9メートル
3層・・・5メートル
4層・・・5.7メートル
5層・・・3.1メートル
一番上の屋根は4.3メートルあります。
鯱瓦・・約1メートル

天守閣の最上層からは広島市内が一望できます。外に出ると華頭窓(かとうまど)と呼ばれる珍しい窓があるので、見ておくとよいでしょう。

広島城は太田川河口の三角州に築城されています。太田川と木々の緑と高層ビル郡が視界に入ってきて「これが広島城の天守閣から眺める景色だ」と感動します。原爆ドームは遠くに見えています。コンサート会場にもなるグリーンアリーナの天井もちらっと見えます。晴れた日には、宮島の山並みを見ることができます。

現在、広島駅南口では駅ビルの開発工事が進行中なのでもうしばらくしたら、さらに高層ビルが立ち並ぶ景色になりますね。

広島城と原爆

昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾は広島城をめがけて投下されました。上空から見ると、ターゲットにしやすかった、ということです。当時は、現在のように高層ビルや住宅地も無く、広島城はよりターゲットになってしまったのでしょう。原子爆弾は、本丸から800メートル南西に落下し、天守閣は一瞬にして消えてしまいました。

この時、原爆で焼かれ、ひび割れた変色した石垣が本丸中御跡の鏡石に残っています。爆心地から740メートルのところで原爆投下で被爆したユーカリの木も見られます。原爆投下で崩れ落ちた多くの瓦が地面に埋まっていて、歩いていると見つけることができます。

今では静かに野鳥が泳いでいるお堀には被爆して逃げてきた人がたくさん亡くなっていました。広島城内だけでなく、広島には原爆の遺構がたくさんありますので、できる限り探して見つけると一層原爆についての理解が深まると思います。瓦など見つけても、遺物なので持ち帰ったり、掘ったりはできません。

二代目 天守閣はどうなったの?

二代目の天守閣は、昭和26年(1951年)に広島県での第6回の国民体育大会に先立って開催された体育文化博覧会の一環で、模擬天守が建てられました。でも大会終了後は、お役御免で解体されています。この時も、戦前の実測値や写真を参照して建てられました。

広島城の天守閣の高さはどれくらい?見える景色や原爆について検証!【まとめ】

今回は広島城の天守閣の高さと大きさ、天守閣から見える景色や広島城と原爆について調べてきました。原爆で倒壊されても、ほぼ元の外観で復元された広島城は、年間30万人程が訪れる観光名所となっています。広島城周辺は、サッカースタジアムや大型商業施設が建設され、より多くの人たちが訪れる賑わいのあるエリアになろうとしています。

三代目広島城は築60年ほど経ち、剥離の確認や耐震性など課題が出てきています。四代目広島城が登場するかもしれないですね、その日を楽しみにしたいです。

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