しまなみ海道はいつできた?本州と四国をつなぐ架け橋の経緯をご紹介!
本州と四国をつなぐ橋は3つありますが、その中でもしまなみ海道はいくつかの島と島をつなぐ橋として知られています。
ではいつできて、どんな経緯で造られたのか詳しくご紹介します。
しまなみ海道の歴史について
しまなみ海道は本州側は広島県と四国は愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路です。
本州と四国間の交通を円滑にして、地形や地質などの自然条件や社会的条件を最大限に考慮して、その時代の最新技術を用いて、経済発展の目的として1975年から建設が進められ全部の橋が繋がったのは1999年の5月と、24年あまりの歳月をかけてしまなみ海道が完成しました。当時は日本一や世界一を記録したものも多くあります。
当初は1973年にほかのルートとともに着工される予定でしたが、同年の石油ショックにより着工が延期されました。最初に1979年に大三島と伯方島をつなぐ橋、大三島橋ができました。本州四国連絡橋に架けられた橋としては唯一のアーチ橋です。アーチ支間297mは完成当時日本最長でした。
次に向島と生口島をつなぐ橋、因島大橋が1983年に完成しました。こちらは本州四国連絡橋の最初の吊橋として完成しました。中央支間長770mは日本最長でした。
その次に伯方島と大島をつなぐ橋として伯方・大島大橋が1988年に完成しました。多くの三泊が航行する狭い海峡での航行船舶と工事の安全確保を向上させるためにしまなみ海道では直下吊り工法を採用しました。
次に因島と生口島を結ぶ生口橋が1991年完成しました。こちらも完成時点では世界最長の斜張橋でした。そして生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋が1999年に完成しています。多々羅大橋は中央支間長が890mで完成時、世界最長の斜張橋です。当初は吊橋で計画されていましたが、i斜張橋として完成していた生口橋の自然環境や経済性などを考えて変更されています。
最後に向島と尾道を繋ぐ新尾道大橋が1999年5月に完成しました。こちらは隣接する尾道大橋との調和が最大のテーマで洗練された美しさを追求した橋の設計になっています。
また生口橋・大島島内の道路について一般国道317号生口島道路と大島道路として整備され2006年に開通してしまなみ海道は着工から31年の歳月をかけて全体が結ばれました。しまなみ海道は瀬戸内沿岸西部の交通や輸送条件の改善や関連地域の産業の振興のほかにこの道路を通る向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島約8万人の島の人たちの生活改善にも大きな役割を果たしました。
しまなみ海道はいつできた?本州と四国をつなぐ架け橋の経緯をご紹介!【まとめ】
しまなみ海道は尾道市の一般国道2号バイパス、今治市の196号バイパスに接続して瀬戸内海に浮かぶ島々を橋で結んでいます。尾道大橋以外の各橋は原動付き自転車道および自転車、歩行者専用の道路が整備されていて島々を眺めながらのサイクリングも楽しめます。
車道の両側などさまざまで、橋の両側に設けられた連絡道路から出入りします。沿線の島々では広島県側・愛媛県側により自転車道の整備も進められてきました。その延長は80kmに及びます。自転車歩行者道は島の人たちの通勤、通学の生活道路としてはもちろんですが、現在ではサイクリングロードとしても幅広く利用されています。宿泊施設を備えたサイクリングターミナル「サンライズ糸山」や沿線各地にレンタサイクルターミナル施設が設置されていて、乗り捨てサービスなど活用して自由なサイクリングを楽しむことができます。
本州と四国を結ぶ橋は3つありますが、サイクリングに注目し今や聖地までなったしまなみ海道の経緯や歴史を改めて読み返すと、景色や橋を見る気持ちも変わってくるのではないでしょうか。