長野にある善光寺は、善光寺縁起という言葉があり参拝することで極楽浄土に行けると信じられています。
全国的にもみても参拝客が多く、祀られている一光三尊阿弥陀如来は日本最古の阿弥陀如来と言われています。
この阿弥陀如来は、絶対秘仏と言われてその姿を見ることは誰もできません。
そこで今回は、善光寺の御本尊見た人がいるのか、どこに存在してるのか、存在しないのか、割れてるのかを徹底調査をしていきましょう。
善光寺の御本尊見た人はいるの?
522年に日本にやってきた阿弥陀如来は、高さ45センチメートル程で金属で出来ているものだそうです。
いったんは池に捨てられた阿弥陀如来ですが、池の近くを通った本田善光さんに助けるよう声を掛けました。
本田善光が阿弥陀如来を担いでいる銅像が大本願にあるので是非見てきてください。
ものすごく当時の様子がイメージできます。
絶対秘仏と言われる御本尊は、当時の人や御本尊を奪った戦国武将はもちろん見ているでしょう。
絶対秘仏となってから、見たであろう、見たかもしれないと伝わっているのは過去に2名ほどだそうです。
1人は江戸時代の京都のお寺の住職だそうです。
あまりにも善光寺縁起が人気なので、嫉妬して本当に御本尊があるのか確認をしに来たそうです。
もう一人は戦後に日本にいたGHQだそうです。
本堂から御本尊を出してきましたが途中で怖くなったのか、見ないで帰った、という話が伝わっているそうです。
どちらも、善光寺縁起や日本古来の阿弥陀如来が本当に存在しているのか自分の目で確認したかったのでしょう。
噂はいろいろありますが、御本尊見た人がいたかどうかの真実はわかりませんね。
善光寺の御本尊とは?
善光寺は1400年以上の歴史がある有名なお寺です。
御本尊は、一光三尊阿弥陀如来で安置されています。
一光三尊阿弥陀如来は、もともとはインドにいました。
その後、百済に渡り、朝鮮を経由し522年に仏教伝来の際に日本に渡ってきました。この阿弥陀如来が日本で最古の阿弥陀如来と言われています。
日本に来てから、すぐに長野の地に来られたわけではなく、まず大阪の難波の地に到着します。
その頃の日本の政治は、仏教というものを受け入れるのか、受け入れないかで揺れていました。
最初は阿弥陀如来は拒否をされ、金属で出来ているためかどんな方法でも壊れなかったので、なんと池に捨てられてしまいます。
しかし、阿弥陀如来は百済の次は日本の地に行くと願っておられ、通りがかった信濃の本田善光に声をかけて池から救い出してもらいます。
その時も割れていることもなくそのままの姿だったと思われます。
この本田善光は、信濃で書記官のような役職に就いており、仕事で難波に来ていたそうです。
本田善光の自宅の臼の上に阿弥陀如来を安置され、それが善光寺の始まりと言われています。
その後、皇極天皇の勅願により伽藍が創建され、善光寺の御本尊となりました。善光寺の名前は本田善光さんから頂いたそうです。
現在、御本尊は本堂の内々陣の左側にいらっしゃいます。秘仏のため戸帳が下がっている奥の内厨子に納められています。
お朝事の時に、その戸帳が上がるのですが、その時は堂内と極楽が繋がると言われているので、その時は見えないけどテンション上がりました。見られないものほど見たくなりますよね。
善光寺の御本尊は見た人はいるの?【まとめ】
現在、御開帳の時に見られる阿弥陀如来は、鎌倉時代に鋳造されたと伝えられる「前立本尊」で本物の分身仏とされています。数えで7年に一度の御開帳の時に、前立本尊を拝むことができます。
本物の御本尊は絶対秘仏なので、厳重に安置されているゆえに、本当に存在するのか、どこにあるのか、割れてるのか、そもそも存在しない?という噂もあります。
善光寺は1400年以上の歴史の中で、11回火災や大地震にもあっています。
御本尊は金属で出来ているとはいえ、割れてるかもしれない、火災のドサクサに紛れて盗まれた、などすでに善光寺には、またはこの世に存在しない可能性もあるでしょう。
今後、存在の真実がわかる日が来るかもしれませんね。
今回は善光寺の御本尊見た人がいるのか、どこに存在してるのか、存在しないのか、割れているのかなどについて調べてきました。
御本尊は存在しないという話もありますが、存在しなかったらこんなに多く人は参拝にきませんよね。なので絶対に御本尊は存在する、きっと見た人もいると信じてみようかなと思います。
地方の善光寺の回向柱には触れたことがあるので、次の御開帳にはぜひ長野善光寺に参拝に行きたいなと思っています。