松本城のうんちくは多すぎる?国宝を支えた豆知識を調べましょう

長野県松本市にある、松本城は1936年(昭和11)に国宝に指定されました。

漆黒の美しい松本城は松本市のシンボルとして多くの観光客が毎年訪れています。3000もあったと言われるお城ですが、現在は現存する天守は12城のみです。

そんな松本城はどうして国宝に選ばれたのか興味がわいてきますよね。今回は松本城についてどんな豆知識やうんちくがあるのか調べていきましょう。

いろんな豆知識を知っておくち松本城を一層楽しく見られますよね。

松本城のうんちく!自分の勝手なうんちく

松本城は1593~4年頃に築城されたと考えられています。

松本城のある松本盆地は年間の気温の差が大きいですが雨が少ないと言われています。

解体し修繕はされていますが築城から約430年という年月経ても健在な姿は国宝にふさわしいですよね。また松本城の美しさは、築城に関わった人間の知恵と努力の結晶でもある気がします。

明治の廃城令で取り壊しの危機

自分が思う松本城の危機は、明治になって発令された廃城令のときかなあと思います。

1853年(嘉永6年)ペリー来航をきっかけに江戸幕府は倒壊してしまいました。新政府はどんどん新しい政策を行い、その1つに廃城令があります。

国内のお城は明治政府が預かることになるなど、江戸に名残を消すかのように取り壊しや競売にかけられていきます。松本城も競売にかけられ230円程で落札されました。

しかし、地元の名士である市川量造さんが松本城が無くなるのは寂しく思い、あるアイディアで松本城存続を思いつきます。それは当時国内で流行っていた展覧会を松本城で行い収益金を元に松本城を買い取るというものです。

結果、5回も展覧会をし、無事に松本城を買い取ることができました。もちろん量造さん一人の思いだけでなく、多くの人々の松本城に対する愛情が買い取りの成功を導いたのでしょう。

変わらぬ姿の秘訣とは

松本城は築城から約430年と考えられており風雨に耐えてきました。

でも明治36年と昭和25年には解体修理が行われていました。その際に木造の組み立てなどが解明され、その仕組みにが約1000トンある天守を支えていたことがわかりました。

当時はクレーンもトラクターも無く、また図面を書くにもCADはもちろんパソコンもコピー機も無い中で築城された松本城は本当にすごいなあと思います。

前に名古屋城の石垣修繕の現場を見学しましたが、石を持ち上げるにクレーン使っていました。それでも持ち上げて、元通りに積んでいくのは難しく、時間がかかるとスタッフさんがお話ししていました。

松本城も当時は人の手のみで模型を作ったり何度もやり直しを行っていたのでしょう。

別名が多いうんちく

松本城は、風雨から守るために漆喰で防御されています。毎年秋になると塗り直しを行われています。

漆の黒い姿から「カラス城」と言われているようですが、それは無いようです。

他には「松本深志城」「鵝湖城」「松本の城」「深瀬城」などとも呼ばれていました。

もともと松本城と呼ばれる前は深志城と呼ばれていましたので、深志や深瀬と言われてるのはわかりますね。

あれこれ意外な豆知識

松本城を取り囲むお掘は3重になっていましたが、現在は外堀と内堀は残されています。

昭和の初期頃は凍ったお掘でスケート楽しんだという写真記録がありました。しかしお堀全体でスケートができたわけではなく一部の場所のみだったそうです。

現在は氷はできますが、カモがのってもパリッと割れてしましまうほどの薄さ程だそうです。

松本城のうんちく【まとめ】

今回は松本城についてどんな豆知識やうんちくを調べてきました。

松本城に関する資料は多い方だと思うので情報が多く松本藩に関しても城主それぞれの政策やスキャンダルもあって歴史好きには面白いのではと思います。松本藩の歴史のうんちくや豆知識を知っておくと細々したところもじっくり確認できますよね。

動画や本なので見ていたものを実際に見ると疑問点も納得できますよ。松本駅から松本城まで徒歩でもレンタルサイクルでも移動できますのでアクセスも便利なので是非お出かけくださいね。