松本城はいつ建てられたの?なぜ建てられた?建てた人など徹底調査!

いくつかある日本のお城の中で国宝に指定されているのは4つのお城です。その1つである松本城は長野県松本市にあります。

松本城は築城から440年ほどと言われており修繕を重ねながら戦国時代の建造物を今も見られる貴重なお城です。

松本城はいつ建てられたのか、誰が建てた人なのかなど気になりますよね。今回は松本城がなぜ建てられたなど築城にまつわる実態を調査してきましょう。

松本城は、いつ建てられたの?

多くの資料には松本城は1593~94年(文禄2~3年)に石川数正・康長親子が築城したとされています。

これは数正が松本城に配置され豊臣秀吉スタイルの天守・お堀・城下町のセットの城郭を作った年代になります。

松本城は正確にいつ建てられたかというのはそれより以前になります。数正が天守を作る前は1504年(永生元年)頃に深志城がありました。

天守は無く大きな館と柵などで砦を作り防衛したいたと考えられています。

松本城がいつ建てられたかは、深志城よりも天守の築城年にしたほうがわかりやすいですね。

松本城は、なぜ建てられたの?

深志城を含む信濃地区周辺には山城がたくさんありました。

代表的なお城は林城、桐原城、山家城、埴原城、井深城、虚空蔵山城、平瀬城、犬甘城、井川城などがありました。

人々は普段は村落で農耕などをして生活し、戦いになるとお城に籠って戦ったそうです。

応仁の乱で戦国時代になると信濃の地も動乱に巻き込まれ防衛をさらに固める必要となってきます。

松本城を建てた人は誰なの?

松本城の前身といわれる深志城は、島立右近貞永(しまだちうこんさだなか)が築城したと言われています。島立氏は信濃地域を治めていた小笠原家の配下の武将です。

この時代から深志城周辺をめぐる当主の入れ替えがはじまります。北信濃制覇を目指す武田晴信(後の信玄)が深志城を攻め落とし、前線基地として上洛の足掛かりとします。

深志城周辺は林城が中心でしたが、武田信玄は深志城の方が交通の要所であると考えていたようです。信玄は深志城を拠点としたのはこういった理由があったからでしょう。

信玄が亡くなると、継いだ息子勝頼は信長と戦いに負けて、信長は深志城には木曾義昌を配置します。
そして本能寺の変で信長が亡くなると、また信濃の地も乱れ、小笠原貞慶が深志城に入ります。
この小笠原氏が深志城から松本城に呼び名を変えたと言われています。

秀吉政権下になると小笠原氏は家康の部下だったので、代わりに石川数正が配置されることになります。
戦国時代に松本城、深志城に関わった武将は、島立氏、武田信玄、木曽義昌、小笠原貞慶、石川数正親子がいました。こういった戦国時代のお城の奪い合いは、歴史ファンにとって面白い要素ですよね。

まとめると松本城の前身である深志城を建てた人は島立氏で、天守閣を築城したのは石川数正親子と言えるでしょう。

松本城はなぜ建てられたの?

まず松本城が要所となった基礎を築いたのは武田信玄が大きいでしょう。

そして天守閣は石川数正親子が築城し現在に至ります。

ここで、なぜ「親子が築城」かというと、数正は築城途中で秀吉に朝鮮出兵を命じられ途中で亡くなってしまい、息子の慶長が引き継いで完成をさせます。

数正は天守閣や本丸、二の丸、城下町などの構想を持っていたと思いますので、完成した天守が見られな無念だったろうなと思います。

数正時代の松本城は、大阪城にいる秀吉が関東の徳川家康が攻めてくるのを防衛するための拠点という役割がありました。しかし、江戸時代になると逆に江戸城を守るため拠点と変わっていきます。

まとめると松本城がなぜ建てられたのかは、信濃の交通の要所である、大阪や江戸からの防衛線の1つといった重大な役目がありました。

松本城を見るにはおすすめのスポットがあり、それは太鼓門の前にある松本市役所です。エレベーターと階段を上っていくと荷物置き場兼の展望室があり、そこからは松本盆地が一望できます。周囲の山々の傾斜や川の位置を見ていると、松本城はその場所になぜ建てられたのかがよくわかると思います。

たくさんあった山城の場所やお堀があっただろう場所なども「だいたいあの辺りかなあ」などと地図を見ながら地形を見ていると、当時の武将たちの防衛策の意図がわかり、自分ならこう配置するなあとか妄想がどんどん膨らみました。

現代の街並みを見ているのですが、リアルサイズで松本城郭ジオラマを見ているようです。

松本市役所なので土日などは閉館なので、行く前に確認をしましょう。また老築化が懸念され市役所を建て直す案もあるようです。

松本城はいつ建てられた?【まとめ】

今回は松本城がいつ建てられたのか、建てた人は誰だったのか、なぜ建てられたのかなどを調べてきました。

松本城は天守閣はもちろん、本丸や二の丸跡地、お堀などわかりやすく、市内の道も奥に入ると昔ながらの細くて曲がった道も多いです。江戸時代の城下町の雰囲気が想像しやすいのも人気の1つかもしれません。

大型連休は混雑が予想されますが、一度は訪れてみたいお城ですよね。また周囲に囲まれた山々や空、雲を見ているとリフレッシュできますよ。