日本のお城来場者数で上位を占める大阪城と姫路城は、どちらも豊臣秀吉が築城に関わっています。秀吉は生涯で、長浜城、姫路城、大坂城、伏見城、石垣山一夜城といった現代でも名のあるお城を築城にしています。
今回は、大阪城と姫路城に注目し、2つのお城の違い、共通点など徹底比較していきます。
Contents
大阪城と姫路城その歴史について比較!
大阪城と姫路城のプロフィールはこちらです!
大阪城
城郭スタイル・・・輪郭式平山城
天守構造・・・複合式望楼型
築城年・・・1580年(天正8年) 本願寺の跡地に秀吉が5年かがりで築城する
1615年(慶長20年) 大坂夏の陣で落城し焼失する
1620年(元和6年) 徳川幕府が10年がかりで築城する
1665年(寛文5年) 落雷で天守閣が焼失
1931年(昭和6年) 市民の願いにより鉄骨鉄筋コンクリート造りの天守閣を復興する
姫路城
城郭スタイル・・・渦郭式平山城
天守構造・・・連立式望楼型
築城年・・・1580年(天正8年) 1333年より築かれた姫路城に
豊臣秀吉が中国攻略のために3層の天守閣を築城する
1601年(慶長6) 池田輝政が9年がかりで大規模な拡張改修をする
1617年(元和3年) 本多忠政によって西の丸、三の丸などを増築する。
1869年(明治2年) 明治時代となり、大手門など失われるが他は保存される
どちらも秀吉が築城を手掛ける前に、ものもとあった建造物がありました。現在、私たちが見ている大阪城は、江戸時代以前は大坂と表記されていたようです。現代の大阪城は3代目で、姫路城は初代のままで、修繕はされているものの現存する最大のお城となっています。
大阪城と姫路城、お城のスタイル、第二次世界大戦を比較!
現在の大阪城は鉄筋鉄骨コンクリート造りで1665年に焼失する前の5重5階なので3階分高くなっていますね。
1931年に再建された天守は、大坂の夏の陣を描いた屏風などを参考にして復元案を考えたそうです。第二次世界大戦の空襲に耐え、現在に至ります。石垣の一部にはアメリカ軍の銃撃された後が残っている場所がありますので大阪城に行かれたら、見つけてくださいね。
姫路城は、昭和と平成に修理がされ、5重6階地下1階で現存する天守では最大31メートルになります大天守と、西小天守、乾小天守、東小天守は連結された連立式望楼型を成しており防衛に特化した造りとなっています。姫路城も第二次世界大戦の姫路大空襲を受けましたが、天守閣は無傷でした。その理由として、米軍のレーダーが湖と勘違いしたなど諸説あります。
大阪城と姫路城の共通点に、第二次世界大戦の空襲で残った、という点があります。それはとても意味のあることだと思います。そんなことも思いながら、現在の天守閣を見て見るもいいかもしれませんね。
大阪城と姫路城で一番の違いとは?
大阪城と姫路城の一番の違いとは、やはり姫路城は国宝と世界遺産であることではないでしょうか。
姫路城の天守閣は、1931年(昭和6年)に国宝に指定され、1993年(平成5年)にユネスコの世界文化遺産に登録されています。大阪城は、重要文化財として大手門、多門櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、焔硝蔵、金蔵、桜門、金明永井戸屋形があります。
重要文化財に登録されるだけでも、文化と建築技術などの研究や継承に繋がる貴重な建築物なので、大切にしていきたいですね。
大阪城と姫路城の違いと共通点とは?2大人気のお城を徹底比較!【まとめ】
今回は大阪城と姫路城の違いと共通点などを比較してきました。どちらも豊臣秀吉が築城に関わっていますが、大阪城は秀吉も、徳川幕府も権力の象徴を意味合いが強く、姫路城は防衛を重視した造りとなっています。
そして現在は、日本を代表する観光スポットとなっていることが共通点ですね。どちらも混雑が予想されますが、是非大阪城と姫路城にお出かけくださいね。