「柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」この俳句を一度は耳にされたことがあると思います。
この作品は、正岡子規の俳句で、「法隆寺にお参りした後、近くの茶店で休憩して柿を食べていると、法隆寺の鐘が鳴り響きその音に秋を感じた」という意味が込められています。
法隆寺は修学旅行などで訪れた人もいらっしゃるのではないでしょうか?
当時はガイドさんの案内などがあったのに、「うっすらと覚えているかな…」とか「そんなお寺行ったかな?」とか、思い出はそれぞれだと思います。
皆さんは、法隆寺が世界最古の木造建造物であることや、ユネスコの世界遺産に指定された、超有名なお寺であることをご存じでしたか?
今回は、法隆寺は「誰」が建てたのか?
法隆寺が建てられた目的や、いつ建てられたのか?
などを詳しく解説していきたいと思います。
法隆寺は誰が建てたの?
法隆寺はズバリ「聖徳太子(しょうとくたいし)」が建てました。
歴史の教科書や、インターネットで検索すれば答えはすぐに分かります。
しかし、法隆寺を建てた「聖徳太子」については、以外と知られていないのではないでしょうか?
「そんなの知っているよ!」とか「一万円札の人でしょ?」とか「十七条の憲法を作った人でしょ」など、ピンときたことは言えても詳しく説明できる人はそんなに多くはないのでは?
そこで、法隆寺を建てた聖徳太子について簡単に説明します。
聖徳太子は、飛鳥時代の皇族であり政治家で、用明天皇を父に持ち第二皇子、つまり次男坊としてこの世に誕生しました。
母は、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)で、中宮寺に鎮座されています。
また、史上初の女性天皇である推古天皇を叔母に持ち、蘇我馬子と共に推古天皇を助けて政治を行い、天皇中心とした「中央集権国家」の体制が整えられました。
法隆寺が建てられた頃は中国の隋(ずい)との交流が盛んで、「遣隋使(けんずいし)」を派遣し、それらをもとに「冠位十二階」や「十七条の憲法」を制定したことは、皆さんも既にご存じですね。
もう少し聖徳太子について面白いお話があるので簡単に説明しますね。
聖徳太子が2歳のとき、東の方角を向き合唱をして「南無仏」と唱えた。
人々の申し出を一語一句漏らすことなく、10人まとめて理解できた。
そのような才気に恵まれたことから「豊聡耳(とよとみみ・とよさとみみ)」とも称されたなど逸話も沢山残っています。
凄いですね~、10人の発言を聞き分けることができるなんて‼
皆さんは何人までのお話を一度に聞き分けることができますか?
わたしなら「無理~一人ずつ喋って~」と、叫んでしまうかもWWW
そして、紙幣の象徴として、これまでに累計7回採用されているのです。
ちなみに、最初に紙幣の肖像として採用されたのが、1930年(昭和5年)の100円紙幣だったとか‼
その後、千円、五千円、一万円札の紙幣に採用され、紙幣の肖像採用としては常連さんになられたようです。
聖徳太子さん、あんたが日本の象徴やな〜‼
聖徳太子について、少しだけお分かりいただけたと思います。
凄い人だったのですね。
法隆寺が建てられた目的は?
聖徳太子の父である用明天皇が自身の病気平癒のため寺を建立しようとしましたが、途中で崩御してしまいます。
聖徳太子はその意思を引き継いで建てたのが法隆寺です。
用明天皇は、第31代天皇で、仏教を深く信仰し王朝においても仏教を公認してからは、皇族の中でも仏教が盛んに信仰され、後の仏教隆盛に繋げたということになるのです。
後の東大寺を建てた聖武天皇や光明皇后なども仏教を深く信仰し、有名な東大寺大仏殿を建立したことは、とてもうなずけますね。
奈良の地は、古くから仏教ととても密接した、歴史のある地だということがよく分かります。
法隆寺はいつ建てられたの?
法隆寺は、推古607年の飛鳥時代に建てられました。
歴史の教科書で飛鳥時代は必ず登場し、本当にそんな時代があったのか?
と思ったことはありませんか?
令和の時代を迎え、飛鳥時代などもう忘れられてもおかしくない時代です。
しかし、法隆寺などの存在により、それらの歴史は見事に語り継がれています。
これほどの歴史や文化を残す時代背景には、かなりの影響力のある人物が政治を司り支配していたかがうかがえますね。
それが聖徳太子だったのか?
それは皆さんのご想像にお任せします。
法隆寺は誰が建てた?【まとめ】
法隆寺を建てた聖徳太子は、父・用明天皇と母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の第二皇子として生まれ、幼い頃から才気あふれる子として知られ、10人の話を一度に聞けたり、二歳の時に「南無仏」と唱えたりした伝説が語り継がれています。
法隆寺は聖徳太子が、用明天皇の意思を受け継ぎ建てられました。
法隆寺が建てられたのは、飛鳥時代で推古706年に完成したといわれています。
歴史のたっぷり詰まった法隆寺は、飛鳥時代を代表する世界的にも有名なお寺としてこれからも人々の心に残る存在であってほしいものです。