「大和は国のまほろば畳なづく青垣…」と万葉集にも出てくるこの詩の意味は、「大和(奈良)は国の中で一番良いところで、青々と垣根のように連なる山々はとても美しい」と大絶賛されてきたことから、奈良の歴史の深さを感じることができます。
古都奈良には、東大寺大仏殿をはじめ、薬師寺、唐招提寺のほかに、法隆寺などまだまだ歴史の謎が深いお寺が数多く存在します。
中でも法隆寺は、世界最古の木造建造見物であることや、世界遺産にも指定されている事は言うまでもありません。
法隆寺には多くの観音様や菩薩像が安置されていまあすが、「夢違い観音」という何とも名前がユニークな観音像があり、見る人の心に残るという特徴的のある観音様です。
今回は、法隆寺の夢違い観音について詳しく解説します。
いったいどんな観音様なのかしら?
Contents
法隆寺の夢違い観音はどんな特徴があるの?
夢違い観音は「ゆめちがいかんのん・ゆめたがいかんのん」と二通りの呼び名があり
多くは「ゆめちがいかんのん」と呼ばれています。
仏像を見ると、それぞれの時代の彫り方や表現などの特徴が分かるそうで、法隆寺の夢違い観音は特徴がありありで、とても貴重な観音様なのです。
①柔和でやさしい微笑みである
仏像は目を閉じているのが一般的ですが、微笑んでいるのはとても珍しいのですね。
②若々しく少年のような表情・童子のようである
子どものような観音様ならなおさら珍しいということでしょうか?
③羽織っている衣が美しい・薄い衣である
ひらひら感の表現が素晴らしい!
④とても丸みがあり、しなやかな身体である
観音様などは、スリムなイメージさえするのですが…少しぽっちゃり体型です。
⑤身体のわりに頭部が大きい
子どもの体型に多いですね。
夢違い観音の微笑みは、「アルカイック・スマイル」と呼ばれています。
このように、法隆寺の夢違い観音は、他の観音様や仏像に見られない独特の特徴がみられることで、ある文化につくられたことが分かってくるのです。
法隆寺の夢違い観音は何文化につくられたの?
歴史の教科書などで「飛鳥時代」や「飛鳥文化」などはよくでてきますが、「白鳳文化」という言葉は「そういうのあったよね~」とか「白鳳?相撲の人??」とか、もちろん「知っているよ~」という人もいらっしゃることでしょう。
法隆寺の夢違い観音は「白鳳文化」の時代に作られたのです。
法隆寺は飛鳥時代の飛鳥文化が色濃いイメージがありますが、そもそも白鳳文化っていつ?と疑問に感じた人もあると思いますので、簡単に白鳳文化について説明します。
白鳳文化は飛鳥時代後期に栄えた文化で、中国や朝鮮などアジア諸国の影響を最も多く受け、国際的な特色が数多く見られた文化です。
白鳳文化は、すぐれた金銅仏が多く、若々しい肉付きのよい、ふっくらとした顔つきの表現豊かな仏像が多いのも特徴の一つとなります。
また、白鳳文化の頃は天武天皇や持統天皇が政治を行い、間もなく天平文化(奈良時代)へと時代は変わっていくのです。
正に仏教を信仰し、法隆寺や東大寺が次々に建てられた歴史の道筋をたどると、奈良のお寺の見どころも奥が深くなってきますね。
さて、法隆寺の夢違い観音について特徴や文化に触れたところで、夢違い観音についてもう少し解説していきます。
夢違い観音の伝説や御利益って何かあるの?
観音様の身体をなでたり、仏像の頭を撫でたりすると、無病息災とか頭が良くなるとか御利益を授かるなどの信仰がります。
法隆寺の夢違い観音も同様に伝説や御利益があり、今でも伝説や御利益として人々の信仰を集めています。
皆さんは、怖い夢や嫌な夢を見たことがありますよね。
朝起きたら、寝汗をかいていたとか、追いかけられている夢とか、谷底に落ちてしまう夢とか…言いかけたらきりがありません。
夢違い観音は、悪い夢を良い夢に変えてくださるという観音様だそうです。
夢といっても、寝ている夢だけではないかも知れません。
もしかしたら、将来の夢や叶えたい夢も、もっと良い夢に変えてくれるかもしれませんね。
夢違い観音は、東大寺の東院伽藍の絵殿(えでん)のご本尊としてお祀されていましたが、現在は大宝蔵院に所蔵されているそうです。
法隆寺の夢違い観音とは?【まとめ】
法隆寺の夢違い観音は、特徴が多くあり白鳳文化を代表する観音様として歴史を存分に伺うことができる、貴重な観音像です。
白鳳文化になぞらえ、国際色豊かな独特な表現は、見る人の心を和やかにするといわれ、なかでも「優しい微笑み」は大きな特徴ではないでしょうか?
法隆寺の夢違い観音は伝説や御利益もあり、悪い夢を良い夢に変えてくださるありがたい観音様です。
法隆寺に訪れる機会があれば、ぜひ微笑みを見せてくれるやさしい観音様に手を合わせてよい夢が見られますように願ってみてくださいね。