愛知県にある有名な観光スポットと聞かれたらどこを思い浮かべますか?
たくさんありますが、名古屋城を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
青い空にキラキラと輝く金のしゃちほこ!
さすが名古屋のシンボルと言える光景ですよね。
名古屋城には銅像があって、それが加藤清正だということはご存知でしたか?
今回はなぜ名古屋城に加藤清正の銅像があるのかを調べてみました!
名古屋城の銅像とは?
愛知県にある有名なお城です。
2023年度の入城者数ランキングでは堂々の第1位!
年間約150万人もの人が訪れているんですよ。
2018年には本丸御殿の復元工事が終わり一般公開も始まりました。
金シャチ横丁もオープンしてとても賑わいを見せている観光スポットなんですよ。
名古屋城の築城主は徳川家康なのですが、どうじて加藤清正の銅像が名古屋城にあるのでしょうか。
加藤清正は、1562年に尾張国(現在の愛知県)で誕生。
熊本城の設計をした人物です。
築城の名手として有名だった加藤清正。
その功績を認められ、徳川家康の命令により名古屋城の築城に参加したと言われています。
なんと天守閣の石垣をわずか3ヶ月で積み上げたそうです。
上にあがるほど角度が急になっている積み方をしてあるのが特徴的なんですよ。
そしてもうひとつ有名なのが「清正石」と言われる大きな石。
名古屋城の石垣の中でひときわ大きな石なので観察をするとすぐに分かると思います。
その大きな石を加藤清正が運んだと言い伝えが「清正石」と呼ばれる所以です。
これだけ名古屋城の築城に貢献した人物とあっては、銅像が建てられているのも納得ですよね。
加藤清正の銅像は名古屋城に2体設置されているのでご紹介しますね。
*銅像の設置場所
加藤清正の銅像は名古屋城の敷地内と、入らずにも見ることができる場所の二箇所です。
①能楽堂前
こちらは名古屋城に入らなくても見ることができます。
大きな銅像ですが、説明書きがないので見落としてしまわないように注意が必要です!
②名古屋城東南隅櫓近く
加藤清正石曳き像と呼ばれています。
自分が石を引いているのではなく、石を引いている人たちを鼓舞している様子が銅像になっているんです。
銅像の隣には木製の看板が設置されているのですぐに気が付くと思いますよ。
*加藤清正にゆかりの地は他にもあるの?
幼少期に過ごしたとされる津島市では加藤清正と繋がりが深いのではないでしょうか。
例えば加藤清正は幼少時代に妙円寺で読み書き手習いを習ったとされています。
現在は行われていませんが、「鬼祭」と呼ばれるお祭りも行われていたそうです。
このお祭りは賊を追い払うのに用いた鬼面をかぶった親鬼を中心にして行うもの。
お祭りで使われていた鬼面は清正公社に伝承されていますよ。
*名古屋城で加藤清正に会えるって本当?
名古屋城には「おもてなし武将隊」と呼ばれるPR大使がいます。
いわば会える武将のようなものです。(笑)
メンバーは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、加藤清正、前田慶次、太助、踊舞、十吾、なつの10人。
毎週土曜・日曜・祝日には名古屋城で「おもてないし演武」を実施しています。
歴史上の一場面を切りとったものをお芝居や殺陣、ダンスなどで表現しているんですよ!
お芝居やダンスだと歴史が苦手な人でもとっつきやすいですよね。
これをきっかけに歴史にハマる方もいるのではないでしょうか。
おもてなし武将隊はグッズだけでなくDVDも発売するほど人気の、まさにご当地アイドルのような存在!
ちなみに経済効果は20億円以上!!!
驚きの金額ですね!
見ればきっと推し武将を見つけられること間違いなしですよ!(笑)
名古屋城の銅像とは?【まとめ】
名古屋城には2体も加藤清正の銅像があるなんて初めて知りました。
それだけ名古屋城築城のために力を尽くしてくれた人物ということですよね。
知れば知るほど魅力が増すのが歴史の魅力!
名古屋城に行ったことがある人も、今度は加藤清正の銅像を探しに来てみてはいかがでしょうか!