薬師寺は誰が建てたのか?なんのために建てたのか?簡単解説!

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2塔の三重塔がシンボルである薬師寺は どの角度から見てもその姿は優美で圧巻です。

薬師寺は、健康祈願のお寺としても有名で、毎月執り行われる縁日やお坊さんによるユーモアのある法話なども聞くことができるお寺です。

薬師寺は創建当初は藤原京にありましたが、都が京都に移された平城京遷都のときに現在の場所に移転された歴史がとても深いお寺なのです。

いわば、1300年もの歴史があることになります。

そんな古代の遺跡は、世界遺産にも指定されました。
今回は、薬師寺は一体誰が建てたのか?

なんのために建てたのか?

歴史を辿りながら、薬師寺を分かりやすく解説していきます。

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目次

薬師寺は誰が建てた?

薬師寺は680年に天武天皇が、皇后である鸕野讃良皇女(宇野野さららのひめみこ・後の持統天皇)の病気平癒を祈願し発願されたことが始まりで建設されますが、天武天皇は完成を待たずして亡くなってしまいます。

そして、天武天皇の意思を引き継ぎ、持統天皇が建設を進め完成したということです。

薬師寺を建てようと発願した天武天皇は、飛鳥時代の第40代天皇で、壬申の乱にて大勝利をおさめ「神」として崇められますが、どんな人物だったのでしょうか?

ときの天皇であった天智天皇は、天武天皇の兄であり次期天皇に大海人王子(後の天武天皇)を次期候補に考えていました。

しかし、天智天皇は、やはり我が子である大友皇子(後の弘文天皇)を即位させようと考えが変わり始めます。

これを快く思わなかった、大海皇子は出家を理由に吉野に雲隠れしてしまうのです。

この時、大海人皇子は「天皇の座は絶対譲らん!」と、メラメラと闘志を燃やしていたのでした。

そして時期天皇は、息子である大友皇子が即位し、弘文天皇の時代となります。

しかし、「それは黙っちゃいられねぇ~」ということで、吉野に雲隠れしていた大海人皇子と弘文天皇との戦いが始まりますが、これが有名な「壬申の乱」ということです。

結果、大海人皇子が勝利して、第40代天武天皇に即位し、敗れた弘文天皇は自害してしまいます。

何と無念…、ちょっとかわいそう…。

地位と名誉の奪い合いはいつの時代も変わりません。

天武天皇は「飛鳥浄御原宮」を造営し、新たな都として中央集権の政治を行います。

この藤原京に、皇后の病気平癒のために薬師寺を建てることを発願し建立します。

藤原京に建てられた本薬師寺が原型で、710年の平城京遷都の際に現在の地に移転されたということです。

薬師寺が移転されたときは、持統天皇が即位されていました。

天武天皇は薬師寺の完成を見ることもなく崩御されますが、その意思を引き継ぎ薬師寺の完成を見届けたのが、持統天皇だったのです。

持統天皇はどんな人なのか?

こちらも簡単に説明します。

持統天皇は女性。

当時は天皇が政治を司っていたので、今でいう女性政治家というほうが分かりやすいかも知れません。

持統天皇は、律令を制定、戸籍の整備、本格的な都造営など、今日の日本の礎を築いた人なのです。

律令とは、皆さんも歴史で習った「大宝律令」のことで、刑罰などの規定や政治の組織や税金、労役などの規定を本格的に取りまとめました。

女性進出の動向は1300年前からあったのですね。

女性が栄えると、その国は更に栄えるなどといわれますが、一理当たっているのかも知れません。

現在の政治も、もっと女性の起用があってもいいと思いませんか?

おっさんばっかりやん!(独り言です)

薬師寺は誰が建てたのかについては、天武天皇が発願し薬師寺は建立されますが完成する前に崩御され、持統天皇が意思を引き継ぎ完成へと導きます。

つまり薬師寺は誰が建てたかは。天武天皇と持統天皇にが建てたことになりますが、皆さんはどのように思われますか?

薬師寺はなんのために建てたのか?

※皇后の病気平癒のため

薬師寺はなんのために建てたのかは、天武天皇が皇后さまの病気平癒のために建てたお寺で、「法相宗(ほっそうしゅう)」の大本山です。

※天武天皇の亡き後に持統天皇が意思を引き継いだから

薬師寺はなんのために建てたのかは、天武天皇はとても残念なことに、皇后の病気が治るようにと願って薬師寺を建立しようといましたが、完成を待たずして亡くなってしまいます。

その 意思を引き継いで立派な薬師寺が完成しました。

天武天皇の意思を放棄していたら、薬師寺の完成を見ることは出来なかったかもしれませんね。

東大寺大仏殿を建立した聖武天皇も、同じく完成を待たずして亡くなっています。

薬師寺も東大寺も共通することは、建立に長いことかかり過ぎや!ということでしょうか?
こんな言い方はお二人に怒られそう…

※檀家を持たない大寺院として「再建」を行った

古代に建てられた薬師寺から現代の薬師寺は、再建や復興遂げてきた歴史のある奈良を代表するお寺です。

薬師寺はなんのために建てたかは、やはり古代の白鷗文化や現代に至るまでの薬師寺の歴史を絶やすことなく継承していくことにあると思います。

昭和に入り、建物の倒壊などで寂しい状況の中にあった薬師寺は、高田好胤というお坊さんにより見事復興を遂げ、金堂をはじめ西塔が再建されるなど、美しい薬師寺の姿が再び誕生しました。

創建当初に近い建物として再建された薬師寺は、とても貴重なお寺のひとつです。

薬師寺は誰が建てた?【まとめ】

人々の身体や心の健康を願い受けてくださる、薬師寺は多くの参拝者が訪れるお寺です。

薬師寺は誰が建てたかは、天武天皇の発願で建立が始まり、持統天皇が完成を見守り、夫婦共同で建てた薬師寺なのではないでしょうか?

薬師寺はなんのために建てたかは、皇后の病気平癒のためでしたが、天武天皇と持統天皇の強い思いと意思が融合し、病気を治すためのお寺として建てようとした天武天皇の強い思いと、それに応えるための持統天皇の強い意志があったからこそではないかと思います。

薬師寺はお二人の健康への想いと信念が詰まったお寺なのでしょうね。

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