徳川家康が1609年に名古屋城築城を発令してからおよそ400年という月日が経ちました。その間に名古屋城は戦災で焼失しましたが、鉄筋の天守閣が復元され多くの人々を魅了しています。
現在、天守閣は耐震性の確保など課題がみつかり木造建築として復元計画が進行中です。でも完成はもう少し先になりそうです。待ち遠しいですね。では、現在名古屋城って見れないの?と思っちゃいますよね。名古屋城以外にも見所はたくさんありますよ。城内には重要文化財に登録されている櫓や復元工事が終了した本丸御殿など貴重な建造物があります。
そこで、今回は名古屋城の文化遺産である重要文化財ってどんなものがあるのか国宝じゃないのか、について調べていきましょう!
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名古屋城は国宝なの?
名古屋城は廃藩置県の時に取り壊しの案がでましたが、保存されることになりました。そして1930年に名古屋城の天守閣と本丸御殿は城郭として、国宝1号に指定されました。
しかし、1945年の名古屋大空襲で焼失してしまいました。焼失せず残っていれば現在も国宝または、世界遺産になっていたかも。そう思うと、とても残念ですね。なので、現在の復元された天守閣は国宝じゃないですね。
名古屋城の他に、1937年には猿面茶席が国宝に指定されましたが、こちらも空襲で焼失してしまい、1949年に復元されています。名古屋城や本丸御殿、猿面茶席の復元には、沢山の史料が役に立ちました。名古屋空襲の前に、本丸御殿障壁画や史料が乃木倉庫に避難されていたり、焼失前に調査した史料が残っていました。当時の人たちの名古屋城を思う気持ちが感じられますね。
名古屋城の重要文化財ってどんなものがあるの?
お城や本丸御殿など焼失してしまいましたが、櫓や門は現存しておりそれらは重要文化財に登録されています。国宝じゃないですが、当時の建築技術が感じ取れ見ておきたい櫓です。では櫓と門を紹介していきましょう。
東南隅櫓(辰巳櫓) 内部非公開 重要文化財
本丸の東南隅にある、屋根二重・内部三階の櫓です。出窓には「石落とし」があり、武具が納められていました。本丸表二之門の近くにあります。
西南隅櫓(未申櫓) 内部非公開 重要文化財
大きさと構造は東南隅櫓と同じです。大正10年に災害で倒壊しましたが、大正12年に修復されました。「石落とし」が西と南の二方向にあります。
西北隅櫓 内部非公開 重要文化財
屋根三重・内部三階の櫓です。他の建物の古材を転用して建築されており、外部北面と西面に千鳥破風があり「石落とし」を備えています。
本丸表二之門 重要文化財
本丸南側にあり、鉄板張りとして用材は木割りが太く堅固に造られています。 門の左右は土塀で鉄砲狭間が開いています。戦災で焼失した表一之門と枡形を形成していました。
旧二之門 東二之門 重要文化財
高麗門形式で、二之丸東鉄門にありましたが、1972年に東之二門に移設されました。
乃木倉庫 内部非公開 国登録有形文化財
明治初期に陸軍の弾薬庫として建設されたレンガ造りの倉庫です。名古屋鎮台に赴任経験がある乃木希典大将にちなんで、乃木倉庫です。戦中は名古屋城や名城公園一帯は軍が使用していました。見た限り、なんの変哲のない倉庫なので、歴史を知った上で見るのがお勧めです。
乃木倉庫、櫓や門は屋外にありますので、散策しながらじっくりと見たいですね。西の丸 御蔵城宝館には重要文化財である「名古屋城本丸御殿障壁画」など名古屋城の重要文化財が公開されています。2021年に開館したばかりですよ。国宝じゃないですが、十分に見ておく価値はあります。
名古屋城の文化遺産は重要文化財なの?国宝じゃないって本当?【まとめ】
今回は名古屋城の文化遺産や重要文化財、国宝について調べてきました。名古屋城や本丸御殿など主要な建物は空襲で焼失してしまいましたが、残った史料でほぼ当時の姿に復元されるなんて、名古屋城の底力が感じられます。名古屋城といより、徳川家康かも知れないですが。
重要文化財である3つの櫓が通常は内部非公開ですが、見学できることもあるのでタイミングあえば見たいですよね。これらの文化遺産を維持するには費用や周囲の理解が欠かせません。建築物が経てきた歴史を、多くの人が知って見て行くことが維持する最大限のことかも知れませんね。